サイコロを振ってどっか行こう。東海道。
あなたの尊敬する人は誰ですか。
父ですか。それとも母ですか。
小学校の時にお世話になった先生ですか。
それとも、部活の熱血指導をしてくれたコーチでしょうか。
私は 伊能忠敬です。
あぁぁぁぁっ
テレビもねぇ!ラジオもねぇ!
車は全く走ってねぇ!
と、吉幾三もきっと荒ぶるに違いないほどの不便な時代、それが江戸時代。
そんな時代に、17年間自分の足で歩き続け、日本地図を完成させた伊能忠敬。
尋常じゃないほどの忍耐力が必要だったはずです。
凡人には到底無理なお話です。
17年の歳月をかけ、ひたむきに測量に取り組んだ彼の生き様にはチムドンドンします。
歴史の授業で伊能忠敬を知った小学生の頃の私は、
「すんげえ!伊能忠敬すんげええ!」
と小学生らしく、鼻の穴を膨らませて興奮するだけでした。
22歳になって改めて伊能忠敬の全国測量について考えてみると、
「やんべぇ!伊能忠敬パイセンやんべぇ!マジやんべぇ!」
と鼻の穴を膨らませながらやっぱり興奮するだけです(何一つ変わっていない)
まぁ、言いたいことはただひとつ。
感動は風化しない。
熱い思いは人々に感動を与え続けるものなんでしょうね。
まぁ、そんな大好きな伊能忠敬パイセンが生きた江戸時代が、日本史の中では一番好きな時代でした。
鎖国の影響もあると思うのですが、諸外国との交流を断つことで生まれた日本のアイデンティティ。
江戸時代に「日本らしさ」というものが形成されたんだと、私は勝手に考えています。(勝手に)
そんな江戸時代の芸術を代表する浮世絵。
有名な浮世絵といえば「東海道五十三次」という作品があります。
東京から京都をつなぐ東海道の道中にある53の宿の絵等を描いた歌川広重の作品。
日本美術や浮世絵が好きだとかそういうわけじゃなくて、
高校時代の日本史の授業で、教科書の隅っこでみた覚えがあるな、
というくらいでしかハエミも知りません。
「これぞ日本だ。グレイトジャパン!I love 寿司!」
と言いたくなるような日本の風景が美しく描写されていた記憶があるのです。
そう言う経緯がありまして、(どう言う経緯だよ)
まぁ、前回のブログにも少し書いた通り、、、
行ってきました。
GetchanceTV サイコロの旅、第2弾!!!
〜東海道五十三次宿巡りの旅〜テッテレーン
今回のルールは出た目の数だけ進んで、東京から京都を目指すという、至ってシンプルなサイコロの旅。
サイコロの旅1日目スタート地点。品川駅。
東海道五十三次をキリのいい五十五次にでも変えてやる。
そんな野望を胸に意気揚々とイケイケゴーゴーでした。
スタート地点で写真やムービーを撮り終え、次の地点に向かおうとした時。
急激な腹痛に、猛烈な吐き気。
このタイミングで体調が悪くなるだなんて、神様のいたずらでしょうか。
ハエミの普段の行いが悪いのでしょうか。
いやいや、
もはやタイミングバッチリと言ったほうがいいのでしょうか。
今日の私はラッキーガール。運がついてる。風が吹いてるわ。
だとか自分で自分を奮い立たせながら次の目的地へ。
(奮い立っていたのか、体調の悪さから震えていたのか今となってはもう、どっちでもいい。)
続いてハエミが向かった場所はこちら。
まさかのトイレです。
どっから見てもトイレです。
正真正銘のトイレです。
二泊三日のうち、ハエミは4日間ほどトイレにこもっていたと思います。
サイコロを振って、東京から京都までの様々なトイレの旅は楽しかったです。(号泣)
はえみのサイコロの旅での様子を是非みなさんにも共有したいと思います。
ひよこの目をしてる。
つい最近まで薬屋さんで必死に働いていたあたしですからね、
お薬の知識はある程度備わっているわけですよ。
はえみえいかの半分はバファリン出来ていますし、
困った時のビオフェルミンに勝るものはないって教え込まれて生きていたわけですよ。
お薬を飲んでゴールにたどり着いたのがこの時ですかね。
息絶えるかと思いました。(旅の道中、体調は悪化していくばかりでした)
三途の川、何度も往復したと思います。
診察に行ったら胃腸炎と診断されました。
そりゃビオフェルミンも効かないわけですよ。
初めての胃腸炎は、ハエミの旅を楽しくする良きスパイスになってくれました。(号泣)
まぁまぁ、思い出話はこれくらいにしましょうか。
サイコロの旅での細かな話はまた次回のブログにて紹介したいと思います。
今日は、なんだかお腹がいっぱい。
本日もごちそうさまでした。
Twitterやってます。フォローシテホチイナ。
ちなみにこちらは私も出させてもらってるネット配信番組のTwitterでし。
0コメント